改組第2回日展 ~ 洋画の部

  流氷遙か  樋口 洋  

  流氷遙か  樋口 洋  

  毎年日展に手塚画伯を訪ねる折に、義兄宅の前に住む樋口洋画伯の作品も楽しみにして洋画の部を散策します。今年の絵は今までに余り見ない自然に向き合った風景画だったのでつい見逃してしまい、会場をうろうろしてしまいました。

  ここ数年、函館ハリストス正教会の異国情緒豊かな西洋館(国の重要文化財)を描いておられました。今回の北海道の流氷も正教会同様にどこまでも透明感のある樋口カラーで描かれていて、吸い込まれるような心安らぐ作品でした。

 

  峠を行く  松野 行

  峠を行く  松野 行

   並み居る洋画部門の作品のなかで私の目に飛び込んで来たのはこの赤い画面でした。夕暮れでしょうか、深い赤色の道を小麦かトウモロコシの袋を積んだ牛車がトラックとすれ違って進んでいます。農夫と後につながれた子牛が哀愁を漂わせ、落ち着いたしっかりした赤い画面が営々と紡ぐ農夫の心豊かな日常にエールを送っているようで心に響きます。

 平山郁夫が描いたシルクロードを行くキャラバンのように、自然と生きる人々の営みの悠久の美が伝わってきます。特選、「峠を行く」松野行とありました。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

改組新第2回日展 ~ 手塚恒治画伯

   「五月の庭で」  手塚恒治

   「五月の庭で」  手塚恒治

   第二回新日展に行きました。友人手塚恒治画伯と会うためです。何時ものように国立新美術館の2階の日本画展示の入口から入ります。並み居る傑作を尻目に先ず手塚氏の絵を探します。第8室にありました。

   今年の手塚氏は今までとは違って正面を向いて立ち、腕組みをして決意を込めた視線でいつでも額から抜け出せるぞ、とでも言っているようでした。背景の水面の赤い色彩が彼の並々ならぬ心中を表現しているようでもあります。

   この赤い水面は2012年の氏の出品作品「風の記憶」を思い出させます。父上の三十三回忌を前に「父の記憶を呼び覚ますかすかな風に因んで付けた」と手紙にありました。

DSC08618

 かつてお父上をお見送りに伺った折、ご自宅のお庭にみかんの黄色い大きな実がたわわに実っていました。赤いりんごを見慣れていた私にとってのみかんの黄色はまぶしく映り、今でも鮮やかに蘇ります。母上をお見送りすることは出来ませんでしたがお手紙にはお別れの祭壇を白いカラーの花で飾ったとあり、画伯のお人柄が偲ばれました。

  私事ですが、しばらく前に父の三十三回忌の法要をし、この9月に103才の母を見送りました。父を送った時は悲しい中にもまだ母がいるという甘えのようなものがありましたが、母を送った今、ひしひしと感じることは次は自分の番だ、という孤独感です。

 今年は手塚画伯の母上の三回忌の年。氏も様々な心の試練を経てこの作品にこれからの決意を表現されたに違いないと勝手に思っています。見倣いたいものです。

 手塚画伯のますますのご活躍をお祈りしています。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

小林一茶 と 相馬御風 ~ 「煩悩人一茶」

「煩悩人一茶」 装幀者 郷倉千靱

「煩悩人一茶」 装幀者 郷倉千靱

           親は死ね 子は死ね後で 孫は死ね   一茶

 いささか不穏な句です。上に紹介した相馬御風の「煩悩人一茶」の一節にある句です。

 この本は昭和11年発行で、その日焼けした函(ケース)から本を取り出し、カバーをはずすと御覧のような洒落た絹張りの木版画で装丁した表紙が現れました。装幀者郷倉千靱は御風が晩年を過ごした故郷糸魚川市に近い富山県出身の著名な日本画家です。この様な立派な装丁の本と出会ったのは初めてで感動すら覚えました。

  この句は、初孫が生まれた人が一茶にお祝いの句を、と願い出た際に詠まれたものだそうで、知人はこの不吉な句に唖然とし、一茶を憎みののしった、とあります。さもありなんと思える句です。

  しかし、一茶の子供は4人が4人とも2才の誕生日も迎えられずに他界し、自分より二回りも若い妻きくにも先立たれ、60才を過ぎて一人残された孤独と絶望の中にいる一茶の心境に思いを致す時、全ての人が必ず迎える死が親、子、孫・・・と「順当」に訪れることが「幸せ」なんだ、だから、このお孫さんも長生きしてくれよ、と心の叫びとも言える句に詠んだものと理解できます。

  一茶は3才(数え年)で生母を失い、以後の逆境の人生を阿弥陀佛にすがって「あなた任せ」とその心境をしばしば句に詠んでいますが、御風はこの本で一茶がごく普通の煩悩人であったことを親しみを込めて書いています。

  院長の祖母は昨年9月に103才で他界しました。明治・大正・昭和・平成の長い時代を生きた祖母は戦中に母を空襲で、末弟を戦地で失いました。戦中に二人の幼児を栄養失調等で亡くし、80才の夫を送り、平成になって58才の息子を見送っています。

  寛永10年(1637)に始まる我が家の過去帳には82名の戒名が記されていますが、4割以上にあたる38人には孩子、童子、童女と記されていて、昔は「逆縁」が非常に多く、辛い思いをした人が大勢いたことがわかります。

 我が身には母や一茶のようなことが起こらないように祈るばかりです。

   ところで、この句は「一茶全集」(信濃毎日新聞社刊)にはありません。この句は一休禅師の作、あるいは一茶の里柏原宿本陣の血を引き「一茶選集」を著した中村六郎の作とも言われていますが、一茶の身の上を知る者にとって、一茶の句という説が真実味をもって伝わってきます。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

 

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

一茶句碑 ~ 実相院2(上田市真田)

天からでも 降りたるやうに さくらかな

天からでも 降りたるやうに さくらかな

 上田市真田の実相院にはもう一基一茶の句碑がありました。本堂に向かって左側の裏山へ抜ける小道の入口近くの木陰にひっそりと立っています。

  天からでも 降りたるやうに さくらかな  (「文政句帖」)

   建立は昭和4年とありますから、全国に約350基ある一茶の句碑の中では古いものから数えて十指に入るものです。句碑の裏側には相馬御風書とあり、一茶がこの実相院の観世音菩薩へ文化年間にこの句を奉額した、と読める但し書きも見えます。DSC07004

  境内の春の花吹雪を詠んだものでしょうが、本堂の棟木(ぐし)には菊花紋とともに桜(山桜)紋が「天からでも降りたるように・・」掲げられていて実相院に敬意を表して詠んだ句のようにも思えてきます。

 相馬御風と言えば「都の西北 早稲田の杜に♫」と詠った早稲田大学の校歌を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし、意外なことに童謡の作詞も多く手がけていて、「春よ来い、早く来い、歩き始めたミイちゃんが・・・」と詠んだ童謡「春よこい」は昔から多くの人に親しまれています。

 そして、今春開通した北陸新幹線の糸魚川駅の発車メロディーに「春よこい」が採用されたと言うことです。糸魚川は御風の生地であり晩年を過ごした地でもあります。

 荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

一茶句碑 ~ 実相院1(上田市真田)

やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり

やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり

 

   実相院は「真田十勇士」、「赤備え」、「真田太平記(池波正太郎)」などで知られた戦国大名真田一族を輩出した上田市真田にあります。山門に掲げられた縁起には聖武天皇の時代、神亀2年(725)に行基によって開かれたとありました。更に平安期、坂上田村麻呂が東征の折に立ち寄って岩窟の潜む鬼を金縄で縛り上げて退治したという故事から金縄山という山号になったということです。

   やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり  一茶

  誰もが知る一茶の句です。しかし、下五が「ここに」となっている句碑はここ実相院のものだけです。この句の句碑は「一茶と句碑」(里文出版)に紹介されている12基に平成22年に建てられた長野県信濃町清水五夫宅を加えて13基を確認しています。

   それらの句碑の下五に注目して見ると「是に有」「是にあり」「是れにあり」「これにあり」の「これ組」が大半で、「ここにあり」「こゝにあり」(久留米市水明荘)の「ここ組」は2基だけです。「一茶全集」等を当たってみると次の二つの表記が見られます。    

   痩蛙 まけるな一茶 是に有      (「七番日記」「一茶自筆句集」等)
   痩かへる まけるな一茶 是に有  (「句稿消息」)

 「是」をどう読むか。辞書によると「於是(ここにおいて)」、「是以」(ここをもって)、「以是」(「これをもって」)とあり、読み方には「こ・れ、こ・の、ここ、これ、」と二様です。かつて受験勉強の際に悩まされ曖昧のまま放置した課題が半世紀を過ぎて一茶さんによって蒸し返されたようで、困ったものです。今回も「これ」も「ここ」もそんなに変わらないよ」としてスルーしておくことにします。

金縄山実相院

金縄山実相院

  実相院にはもう一基、一茶の句碑がありました。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

一茶句碑 ~ 飯島幸男宅(飯綱町黒川)

我と来て 遊べや親の ない雀

我と来て 遊べや親の ない雀

    長野県の飯綱町は15才の一茶が継母との軋轢を避けるために江戸に奉公に出される際に、見送りに来た父と別れた地であり、29才で俳諧の宗匠として初めての里帰りをして以来、十数回に及ぶ江戸との往復の際に通った北国街道の宿場町で、一茶の故郷、柏原宿の一つ手前の宿場、牟礼宿があった所です。

    江戸との往還の間、滝沢可候小川卜英荒川草水などといった多くの門人ができ、一茶を支えた飛脚医師が住んだ町でもあります。

 何よりも、飯綱町は一茶の継母はつ(一節にさつ)の故郷でもあります。

  さて、そんな飯綱町ではありますが一茶の句碑は全国で5番目に古い権現坂の句碑があるものの全部で3基に留まっています。

 ある日、私が古文書教室でお世話になっている「いいづな歴史ふれあい館」の小山学芸員さんから、町内にもう一基一茶句碑あるらしい、との話をお聞きしたので探して見ました。そしてやっと探し出すことができたのが飯島家の句碑です。

    我と来て 遊べや 親のない雀     (「おらが春」)DSC07532

  平成11年に飯島幸男さんが信濃町農協を定年退職された記念に建てられた句碑で、奥様よみ子さんの名も刻まれています。揮毫は長野県議会議員で議長も務めたことがある信濃町在住の服部宏昭氏。 ご夫婦の名が記された句碑は以前にも紹介しましたが、微笑ましくなかなか佳いものです。

  お宅を訪ねた際、体調を崩されていた飯島さんでしたがわざわざ大庭の句碑を案内して下さいました。美味しいお茶までご馳走になり、しばしお話を伺いましたが、ご主人を気遣う奥様の様子が印象的でした。DSC07533

  この句については信濃町明専寺で紹介しましたので御覧下さい。
  有名な句ですが、中七の「遊べや」が「遊ぶ」(「七番日記」文化11年1814年)、「遊ぶや」(「句稿消息」「一茶自筆句集」)とするものもあり、「遊べや」とあるのは「おらが春」(文政2年1819年)、「一茶発句鈔追加」で、一茶の推敲の跡が辿れます。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

第一回新日展便り(5) ~ 洋画の部(樋口 洋氏)

2015年2月8日

宵の函館  樋口 洋

宵の函館  樋口 洋

   「第一回改組 新日展」を紹介しています。今回も手塚恒治画伯と共に毎回会いに行く洋画の部の樋口洋氏の作品です。樋口氏は院長の伯父のすぐ前にお住まいの方というご縁で毎回写真を撮らせて頂いています。

  今回も数年前から題材としている函館の風景で、「白い函館」、「白い朝」に続いて「宵の函館」と題したハリストス正教会の絵です。雪明かりと街灯の光に浮かぶビザンチン様式の端正な鐘楼が凜とした佇まいを見せています。

 樋口画伯の作品は対象を丁寧に写し取ってあたたかな色彩で描かれていて、作品がそのままストレートに心に入ってきて安らぎさえ覚えます。ことに今回の「宵の函館」には民家の窓明かりも描かれていて人間の日常の営み、団欒さえも映して温かさが伝わって来ます。

躍 起  ー 高木 聖雨 ー

躍 起  ー 高木 聖雨 ー

  最後に訪れたのは書の会場です。書は私にとって苦手な部門でいつもは「書林」を散策する程度に流してしまうのですが、今回は頂いた招待券にあった「藝林」という高木氏の作品を生で見たいということで探しました。

  躍起になって探した結果、「藝林」ではなく「躍起」という高木氏の作品を探し当てることが出来ました。何が書かれているのか判らない墨絵のような作品も「躍起」だと判ると作者の意図(気持ち)が伝わって来て興味深く鑑賞することができるものだと思いました。DSC07600

 当日は同会場で「チューリッヒ美術館展」も開催されていて興味がそそられましたが日帰りのために時間と体力の関係で諦め、来年の「第2回改組 新日展」を楽しみに帰途につきました。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

第一回新日展便り(4)~ 彫刻の部(小瀧勝平氏)

2015年1月31日

献灯 ー小瀧勝平ー

献灯 ー小瀧勝平ー

 「第一回改組 新日展」を紹介しています。前回の田中宏欣氏の彫刻に引き続き今回は小瀧勝平氏による彫像「献灯」です。小瀧さんは福島県いわき市在住の彫刻家で日展特選に輝いた経歴をお持ちです。

 「献灯」は並み居る彫刻作品群の中で一人照明が当てられ、大舞台の主役のように佇んでいました。燭台を手にした少女が燈明を祭壇に献げようとしている姿で素材は樹脂と書かれています。

 実際には燭台の蝋燭には火が灯っていませんが、少女の上半身に黄金色の塗料が樹脂に配合されているのでしょう、あたかも蝋燭の光が辺りを照らし、少女の顔にも下から光が当たっているように巧みに表現されています。広い会場でこの少女だけにスポットライトが当てられているように見えたのはそのためです。DSC07556

  少女は静かさの中に佇んでいるように見えますが、燭台の火の揺らぎと共に一歩前に出ようとする気配といいますか、意志の動きのようなものが感じられて惹かれます。

  いわき市では2011年3月の東日本大震災で300人もの犠牲者に加え甚大な被害を被りました。「献灯」は鎮魂と遺された者の覚悟を表現しているように思えてきます。

 小瀧氏は喜寿を迎えられているとのことです。熟練の腕と進取の気概で少女の内面を見事に表現されておられます。来年の作品が今から楽しみです。

 右上の写真は今回、手塚恒治画伯から頂いた日展の招待券です。ありがとうございました。

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

第1回新日展便り(3) ~ 彫刻の部(田中宏欣氏)

2015年1月27日

壮士 ー田中 宏欣ー

壮士 ー田中 宏欣ー

   「第1回改組新日展」を紹介しています。前回の彫塑会場で印象に残った作者の作品が今回も私の目を惹きました。植田努氏に続いて紹介するのは田中宏欣氏の「壮士」です。前回は「風韻」と題した女性の頭部の石像でした。

  田中氏の「壮士」像は数ある作品群の中でも小さく、床に転がされたように置かれていました。それ故に目に飛び込んで来たのかもしれませんが、先ず、自然石であることの魅力とともに壮士の力強い意志が荒削りの表情から伝わって来ます。

  この石の彫刻にはノミと鎚を手にした作者が自然石と格闘した跡がはっきりと残り、ついには作者と自然の調和が表現されているようで、人間の偉業が伝わってくる趣があります。DSC07601

 大理石から何の苦も無く生まれ出て来たようなミケランジェロのピエタ像のつややかでみずみずしい質感はまさに神の手によるもののように映り、人間の偉大さがひしひしと伝わってきますが、「壮士」のようなノミ跡の残る作品も技巧を排した本物の魅力が感じられます。

  彫刻の彫は「表面にびっしり模様を刻む」、刻は「硬いものを刀で刻む」ですから、石像の「壮士」は将に彫刻の王道を往っていると言えるかも知れません。それ故に人を惹きつけるものがあるのでしょう。

 前回の彫刻の部のミニ解説会では彫刻の素材が木や粘土に加えて、石膏、ブロンズ、樹脂、繊維、乾漆、パルプ等が使われていることを学びました。

 次に紹介する作品の素材は樹脂です。 

荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

 

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ

第1回新日展便り(2) ~彫刻の部(植田努氏)

2015年1月17日 

O'connell Street  植田 努

O’connell Street 植田 努

   「第1回改組 新日展」を紹介しています。手塚恒治画伯にお会いしてから彫刻の会場に向かいました。日展の彫刻は判りやすくて楽しめます。今回の展示数は昨年より又少ない感じでゆっくり見ることができました。

 目にとまった作品の作者を見ると昨年紹介した彫刻家のものが2つありました。

 先ず、植田努氏の作品です。愛犬と少女の自然な佇まいに惹きつけられ、近づいてみると植田氏の作品で、少女に向けた愛犬の表情描写が生き写しのようでした。アイリッシュセッターでしょうか。我が家ではかつて2頭のグレートピレニーズを飼っていました。この彫刻の犬の仕草は院長も可愛がっていたパルとビリーの姿を懐かしく思い起こさせてくれました。「『O’connell Street』 【樹脂】 植田 努」とあります。作者の観察力には脱帽です。

 氏は昨年一昨年と「ケサリアの牛飼い」と題した少年と水牛の像を出展されていて、特に一昨年の水牛に寄りそう少年の像は「特選」に選ばれています。氏の作品はいずれも日常の何気ない一コマを捉えて細部まで再現し、見る者に「こんな情景を見たことがある」と懐かしさを呼び起こさせ愛着を感じさせる傑作です。

DSC07593  彫刻家植田努氏についてもっと知りたくなって調べて行くと興味深い事実がわかりました。今年3月に植田努氏による忠犬ハチ公と飼い主の上野英三郎博士の再会を再現した銅像が東大農学部構内に建てられるというのです。そこは上野博士が職場だった所です。ハチ公は毎日博士の大学からの帰りを渋谷駅で出迎えていました。博士が亡くなってからも10年以上博士を駅で待ち続けました。その姿が新聞に報道されて有名になり、ハチ公の生存中の1934年(昭和9年)に銅像が建てられました。今年はハチ公が死んで80年の年。それを記念して再会の銅像の制作となったということです。

  因みに忠犬ハチ公の銅像は渋谷駅以外に故郷の秋田県大館市にあり、上野博士とハチ公が一緒にいる銅像が博士の出身地の津市にあるということです。

  植田さんは昭和49年埼玉県生まれのまだ若い作家です。これまでにもヤギペンギンなどをリアルな作品に仕上げています。植田努氏による80年ぶりにご主人と出会うハチ公の表情が今から楽しみです。

 荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック
(長野在住 院長の親父ブログ)

 

カテゴリー: こうへい歯科クリニックブログ | コメントをどうぞ